こんにちは。大正東部地区担当の小野です。
いつかはマラソンを走ってみたいと常々思っていた私は、3月27日に四万十町で行われた『四万十川桜マラソン』に挑戦しました。
春の四万十川沿いを走るマラソンで、 旧窪川町をスタートし旧大正町を通り、旧十和村をゴールとする四万十町を縦断する、今年で八回目を迎える春の一大イベントです。
協力隊からは私と、同じ大正地区で活動する野村隊員の2人が参加しました。
マラソン本番当日。2、3日前からの雨の予報を覆し、青空が広がる絶好のマラソン日和。スタート地点の窪川小学校に着くと、既に多くのランナー(ライバル)達がウォーミングアップをしていました。中には仮装している人もいてとても賑やかでした。
午前9時、1,600人のランナーが一斉にスタート。42.195㎞への挑戦が始まりました。
最初の10キロぐらいまではのんびりと四万十の自然を満喫しながら走る余裕がありました。他のランナーさん達も会話したり、まだ満開とは言えない桜(今年は咲き始めが遅かったようです。この数日後満開になりました)をバックに写真を撮ったりしながら楽しく走っていました。
14㎞付近で弘瀬の沈下橋を通過した時、少し疲れを感じ始めました。
そして、20㎞。遂に限界が(早い・・)。
両足の太腿が攣り、歩くことを余儀なくされました。それまで一緒に走っていた野村隊員に、「先に行ってくれ」と別れを告げ、1人旅に。
私としてはずっと歩きたかったのですがそこは私の住む大正地区。この一年間で知り合いの増えた私にとって、力強いながらも走らざるを得ないエリアです。「小野がんばれ」と固有名詞で応援されたら頑張らないわけには行かず、知り合いの前でだけで走るということを繰り返しながらも、25㎞の関門を制限時間内に突破することができました。
大正地区も抜け、十和地区に入るとほぼ歩いていました。
30㎞地点付近では、リタイア組も見受けられるようになり、私もそろそろダメかなと思い始めました。
しかし、残り時間1時間半の時点で、ゴールまでの距離を計算したらなんとか行けそうな感じがしたので、足を引きずりながらも一歩ずつ進んで行きました。
最後もほぼ歩いてのゴールでしたが、5時間48分という制限時間ぎりぎりのタイムながら完走することができました。
今回の初マラソン。歩きながらも完走することができたのはやはりそこが四万十町だからだったというのは大きいと思います。多分四万十町じゃなければ完走できなかったと思います。
沿道で応援してくれる多くの知り合いに背中を押され、各エイドステーションでの美味しいおにぎりやドリンクに助けられました。また、地元を含めた多くの方がボランティアとして大会運営に携わり、私達が走ることだけに集中できるようにサポートしてくれました。
ゴール後は立つこともままならない状況でしたが、そこはやはり高知県。その日の夜は地元のランナーさんに誘ってもらっていた飲み会に参加してしこたま飲みました。
この記事を書いた隊員
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小野雄介大正東部地区の地域振興
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大分県出身。大学は愛知県。1年間の京都生活後、福岡県で就職。北九州市に4年。福岡市に8年間暮らした後、四万十町へ。趣味は読書、陶芸、体を動かすこと。因みに龍馬検定初級。