呼坂峠を歩く

「呼坂峠」をご存知でしょうか❔

窪川地域にある呼坂峠を今回初めて歩いてみました🚶
JR窪川駅を出発して、北進する。
ほどなくして、身代り大師の看板がある交差点を直進します⬆️
路地を道なりに進むと、身代大師道場の建物がありました。
山道に入ると、右手に竹林が広がります。
いきなり雰囲気が変わり、別世界に足を踏み入れたような感じがしました🌿
竹林を眺めながらさらに登ると、二手に分かれる道が出現!!
右手の道は昭和39年にオリンピックを中継するために開通されました✨
通称:オリンピックロードと呼ぶらしいです。
そのオリンピックロードを進むと、5分ほどで墓地に到着。
そこでは窪川の街並みが一望できました。
そこからさらに登ると、補装が切れて、何度も蛇行した坂道が続きました。
なかなか厳しい道のりでした。
出発してから60分ほど、ようやく頂上にたどり着きました。
頂上には、テレビ塔が立ち並んでいました。
展望できる場所がなかったのは、少し残念でした😂

分岐に戻り、左手にも行ってみました。

この道は明治26年に整備されました。
オリンピックロードよりも自然を感じることができる道でした🍃
この道を進むと、国道56号線の窪川トンネルに出ました。
普段は、車で通りすぎている場所に道があるとは驚きでした😲
また、呼坂トンネル付近にある中央自動車のところに古道を発見👀
170メートルほどの竹林の中を通るルートでこちらもまた味わい深かったです。

「呼坂峠」の名前は?

一説によると、長宗我部元親が窪川進攻の際にこの峠から、一条軍に降伏勧告を大声で叫んで投降を呼びかけたことに由来するという。

この峠は、窪川以西(幡多地域)の人たちが高知方面に行く時、逆に高知方面から中村や宿毛方面に行く時、また北幡や伊予方面に行く時も必ずここを通らなければならなりませんでした。藩政時代には、往還道として位置づけられました。
したがって時の人々は、それぞれにここを越えて行ったことが伺えます。
呼坂峠の古道はいつの時代に開かれたのかはわかりませんが、多くの先人達が歩いたこの峠も昭和5年に呼坂隧道(よびさかすいどう)が抜けるとお役御免となりました。

まとめ

今回、歩いて回ることで自然を体感し、歴史に触れることができました✨

時代が移り変わり、新しく便利になっていく中で本当に大事なものはなんなのか?
改めて、考え直すきっかけになりました😃
お時間のある方は是非歩いてみてください。
ご精読ありがとうございました🙇

この記事を書いた隊員

鳥海竜飛
鳥海竜飛
中学生の時にドラマ「遅咲きのヒマワリ」を見て、心を打たれ都立高校に入学後、地域おこし協力隊を志す。協力隊の募集を探すなかで、四国見学に来た際に四万十町の人と自然に巡り合い、応募を決意。この場所で自分の存在意義を示すため、日々全力で生きています。
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