地域おこし協力隊になるということ~小野の場合①~

こんにちは。大正東部地区を担当している小野です。 協力隊2年目も過ぎ、4月からは早くも3年目、最終年に突入しようとしています。                                          最近ではプレゼンなど、自分の意見を発表する機会をもらうこともあり、そのたびに内容をどのようにしようか考えています。 そこで今回は反省も含めて、簡単にこの2年間で感じたことをお伝えさせていただきたいと思います。 2014年10月、当時福岡でサラリーマンをしていた私は、移住を真剣に考え始めていた僕は高知県を訪れました。そこで、移住コンシェルジュの方にお会いし相談するなかで12月に大阪で移住相談会があることを知りました。 12月13日。大阪の移住相談会で四万十町地域おこし協力隊に興味を持ち応募しました。応募の決め手は、ミッションが明確で先輩隊員がいるということでした。 2月。書類審査を通った私は再び高知へ。面接をパスし晴れて四万十町地域おこし協力隊として採用されました。 採用の通知を受けたときの心境は「本当に受かってしまった…会社辞めなきゃ」でした。     同じ会社で12年間働き、お世話になっている人も多く、辞めるときにすんなり辞められるのかという不安。協力隊という3年後が保障されていない仕事に就くことの不安。家族の反対があるかもしれないという不安。新しい土地で迎え入れてもらえるだろうかという不安。地域おこし協力隊という仕事への不安。     採用の喜びと共に多くの不安が私を襲いました。12年間住んでいた福岡では、趣味の陶芸もやっていたし、行きつけの飲み屋もあったし、仕事も中堅としてそれなりに頑張っていました。不安と寂しさ。それが採用を知らされた時の私の気持ちです。 それでも協力隊を辞退しようという思いはありませんでした。今思えば数多くの不安よりも、新しいことへ挑戦することのワクワク感のほうがその時の私にはあったのだと思います。 3月、会社に辞職する旨を伝えました。辞める際、私が一番気を付けたのは「円満に辞める」ということでした。12年間で培った人間関係を壊して新天地に行くことだけは避けたかったからです。 私は協力隊の面接時から、「5月からしか働くことはできません」ということを町の方には伝えていました。それというのも4月の1か月間で引継ぎをきちんとしてから辞めたいと思っていたからです。そういったことも良かったのかもしれません。円満に退社することができました。勤務最終日には盛大な送別会もしてくれました。その他にも仕事関係や趣味でお世話になった方々からも送別会をしていただき、4月は連日飲み会でした。 そして、2015年5月、私は地域おこし協力隊として四万十町に住むことになりました。 今月はここまでにして、来月またこの続きを書かせていただきたいと思います。      

この記事を書いた隊員

小野雄介大正東部地区の地域振興
大分県出身。大学は愛知県。1年間の京都生活後、福岡県で就職。北九州市に4年。福岡市に8年間暮らした後、四万十町へ。趣味は読書、陶芸、体を動かすこと。因みに龍馬検定初級。
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