高の峠さま(「文化と鏡と・・・」松葉川温泉近く)  高の峠さま(「文化と鏡と・・・」松葉川温泉近く)
活動報告

高の峠さま(「文化と鏡と・・・」松葉川温泉近く)

こんにちは松葉川担当の松葉川健一です。

 

先月の終わりに松葉川温泉の近くにいらっしゃる安産の神様「高の峠さま」にお参りしてきました。

 

今回は実際にお参りした様子を、地域に伝わる伝説と共にお話ししたいと思います。

 

温泉近くの山の頂

高の峠は温泉から少し窪川のほうへと戻ったところにある

「ギャラリー龍窯」のわきの道を上がっていった山の上にある祠です。

林道はきれいに整備されており歩きやすく

途中には日野地川や四万十川が見える眺望がありました。

松葉川の山々は基本的に木が茂っており眺望が良い場所は少ないのでとても貴重です。

 

鏡を奉納する祠

林道を1時間ほど登った先にある祠には、鏡が数十枚奉納されています。

この祠は「安産の神、高の峠神社」として祀られており

昔はこの近郷で妊婦が出た時にはこの神社に安産を祈願し、

無事に出産したときには鏡を奉納して感謝をする習わしがありました。

ありました、というのは既に以前奉納したのは20年以上前ということで、

奉納は長い間行われていませんが、毎年地域の数人にて例会として参拝が行われています。

僕は今回この例会にご一緒させてもらいました。

 

鏡を奉納する理由

なぜ鏡を奉納するかということなのですが、高の峠神社ができた時のお話しによるものです。

詳しくは記事の最後に文献をまるっと記載いたしますが、

身重の妻を伴ったお遍路さんが、この高の峠の下の民家にて一夜の宿を断られ、

峠を越えようと試みたのですが、高の峠にて陣痛で動けなくなり、

山犬に生まれた子供共々かみ殺されてしまった話が伝わっています。

峠で夜を明かす決意をした夫は妻に山犬除けとして「鏡」を渡して食料や出産の準備を調達しに山を下ります。

果たして山犬に襲われてしまった妻は木に登り「鏡」の反射を使って山犬を遠ざけていたのですが、

力尽きて、「鏡が地面から照らしてくれれば山犬は近づかないだろう」と鏡を下に落とすのですが、

期待に反して鏡がうつぶせになってしまい、ついにかみ殺されてしまったと伝えられています。

 

文化の痕跡

なぜ、高の峠の下の民家は宿を断ったのか?ということなのですが、

昔は、出産することを「けがらわしいこと」として扱う文化が生きていたからです。

家の中で出産が行われた家の人は一週間は山をけがすので山の作業に一切従事しなかったと言われていることや、

松葉川や、同じ四万十町の下津井に残る森林軌道跡の近くの集落(林業者を中心とした集落)の跡地には

必ず「産婆小屋」や「お産小屋」という形で出産を行うためだけの小屋の存在が示されていることなど、

今で考えれば信じられない様な文化の痕跡が残されています。

この高の峠さまもその痕跡の一つということで、

昔の人への畏敬の念や、今の時代への感謝など、複雑な感情がわいてきます。

 

10月に結婚して、本名が山本から吉田へとかわった私ですが、

妻が妊娠した折には、高の峠さまへ安産を祈願したいと思います。

 

 

高の峠様

(窪川町史より)

その昔、旅路に行き暮れた二人連れの遍路が、桑の又のとある人家にたちより一夜の宿を乞うたが断られ、重い足を曳いて柿谷を分け入って大野見に出ようとした。妻を臨月の身重であったがちょうどこの峠で陣痛をもよおし、しだいに下腹部に迫る痛みを動くこともできず、かといって山中で出産することを許されず困り果てた。昔は出産することをあたかも汚らわしいことのようにいわれ、家の中で出産してもその家の物は「赤火」といって7日間は山を汚すから山の作業には一切十字しなかったくらいで、山の神の使者である山犬にかみ殺されてしまうなど言い伝えがあったからである。

困り果てた夫婦は話し合いの末、夫は人里に下り、出産の準備や食べ物の調達をしてくることになり、妻は木の根元で夫の帰りを待つことになった。

夫は「一歩も動く出ないぞ、万一山犬が来たときはこの鏡を山犬に向けて照らすと退散するから」と言い聞かせ、懐から鏡を取り出して妻に渡し急いで山を下りたのである。

麓に着くや、ことの次第を訴え、準備を整えて、急ぎ妻のいる所に戻ってみれば、痛ましや鮮血にまみれた妻の遺骸が横たわっていたので夫は呆然となった。妻は夫が山を降りたあと山犬に襲われたので、傍にあった松ノ木に登り、鏡の光を照らしながら近寄る山犬を防いでいたが、力尽きたあげく鏡を地面に落とせば近づかないだろうと考えて下に落とした。ところが鏡は期待に反してうつ伏せになってしまった。

山犬は、鏡が反射の光を失ったのを幸いに群がり集まって、生まれた子供と妻はその山犬にかみ殺されたのであった。

夫の遍路は翌日涙のうちに妻のなきがらをこの地に葬り、形ばかりの弔いを済ませてここを立ち去ったと伝えらえている。

名もない女遍路の末路。時代も不詳であるが、日野地の若者たちがその霊を慰めるためにこの地に小さな祠を作り「高の峠神社」として毎年旧暦9月16日に例会を行い今日にいたっている。

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