協力隊になるということ~小野の場合③~

こんにちは。大正東部地区担当の小野です。 さて、大正東部地区。その中でも打井川地区担当というミッションをもらった私ですが、当初は右も左も何をしたらいいのか全く分かっていませんでした。なぜなら私はこれまで地域おこしなんてやったことがないし、そんな知識もありません。あるのは12年間のサラリーマン生活だけです。 でも、最初の集まりで、地区の方から「新聞をつくってくれ」と言われたのでそれだけやることにしました。 新聞を作るために必要な事の一番は何といっても”ネタ”です。表裏一枚の学級新聞のような新聞ですが、それらを全て打井川のことだけで埋めるというのは中々大変です。 ネタを探すために私がしたこと。それは、打井川地区の色んなことを調べることでした。町立図書館に行き、地元の昔話や町史などを読んで打井川に関連する文化財や神社仏閣、歴史などを調べてそれをネタにしました。また、地区の小さなお祭りにも積極的に顔を出しそれらをネタにして新聞を発行しました。 また、打井川地区には日本一辺鄙な所にあるミュージアム「海洋堂ホビー館」「かっぱ館」がありますので、それらに関することもネタとして新聞に載せました。 新聞を作っていくうちに少しずつ周りの環境が変わっていきました。新聞を作り始めて1年半ぐらい(15号ぐらい)から、取材でお祭りや集まりに参加した時に「新聞の人だ」「載せてくれるの」「この前の新聞、読んだよ」などという声を聞けるようになったのです。 それは私にとってとてもうれしい出来事でした。 私は地域おこしのプロでもないし、専門家でもありません。でも、地道に地域に寄り添うことで認めてくれる人がでてくるものだということを感じることができました。 今では地区の会議に出ても私に意見を地区の人が求めてくれます「小野君なんかアイデアない?」と。 地域おこし協力隊になって2年。2年かかってここまでこれたことに非常に満足しています。 そして、私は協力隊3年目を迎えました。 協力隊として活動できるのも今年1年のみです。 私は四万十町に残ろうと考えています。その方法はゲストハウスを経営するという形で。 そのために今色々と動いています。法律関係や改装、補助金など考えることが沢山あるし、思ったようにいかないことばかりで現在少しパニック状態ですが、それでもゲストハウス開業に向けて少しづつ動いています。 それだけではなくもちろん地域のことにも携わっていきたいと思います。 また、四万十町を満喫することにも全力を注ぎたいと思います。今年もよさこい祭りに踊り子として参加することになり、現在目下練習中です。 協力隊3年目。仕事に、プライベートに、未来に、全力で楽しみながら取り組んでいきたいと思います。        

この記事を書いた隊員

小野雄介大正東部地区の地域振興
大分県出身。大学は愛知県。1年間の京都生活後、福岡県で就職。北九州市に4年。福岡市に8年間暮らした後、四万十町へ。趣味は読書、陶芸、体を動かすこと。因みに龍馬検定初級。
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